2010年6月10日木曜日

ルーツ を読んで 8

 言語学や脳物理学的にどうなのかは分からないが、身体にはOSの基があり、日本人の環境に生まれ育てば、OS言語は日本語になる。また、その人の思考、要 するに、頭のなかで想い、考えていることも日本語であると思う。
 思考が他の言語に入れ替わるとすると、基のOSを失ったことになり、それは、自 己を失ったことになると思う。では、バイリンガルの思考はどうなっているのだろうか。OSが複数同時に動いているか、切り替えているのだと思うが、基のOSがベースに機能しているのか、ごっちゃになっているのか・・・。
 思考(知識や経験をもとにあれこれ考えること)は、自分の意思と意識の自律(コントロール)とともに、コミュニケーションとしても大事である。
  クンカ・キンテがたどったであろう人生(ご先祖の話)とともに、マンディカ語で、川を「ボロンゴ」ということなど、親から子どもに、そして孫へと何代にも言い伝えられたことで、筆者アレックス・ヘン リーが自身の「ルーツ」を知ることができ、物語の最後では、実際にヘンリー氏がジュフレ村に行き、村人たちや語り部から、クンカ・キンテの祖父の代からの伝えを実感することになる。
 こうした数少ない情報から、自分の「ルーツ」を知ることができるのは、アメリカ黒人のなかでは少ないかと思う。

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