2010年6月20日日曜日

FIFAワールドカップ 予選第2戦(vs オランダ)

 第2戦の日本 vs オランダは、日本が守りに引いて、ほとんど攻める形ができなく、なんとか前半は0-0で折り返した。しかし、結局、後半にオランダが先制して、そのまま0-1で負けました。
 2点、3点ととられなかったことで、次のデンマーク戦にはつながった。デンマークもカメルーンに勝って、1勝1敗、勝ち点3と並んでいるが、得失点差で日本がグループ2位となっているので、デンマークに引き分け以上で予選突破となる。
  少ないチャンスで、ゴールの枠内に確実にシュートできなければ、なかなか点には結びつかない。日本を見ていると、どうやってシュートまでもっていくのか、攻めの形が全くないように思える。
 デンマーク戦も引き気味に入ると、攻める機会が少なく、デンマークに翻弄される展開になるのではないだろうか。

2010年6月17日木曜日

ウィンブルドン2010

 来週6/21(月)からは、ウィンブルドンが始まります。
 昨年、ちょうどウィンブルドンの大会期間中にイギリス(ロンドン・コッツウォルズ)旅行に行っていたことを思い出すと、なにか不思議な感じがする。
 昨年のクルム伊達は、1回戦敗退でしたが、少しでも長くウィンブルドンで活躍してもらいたいと思う。

2010年6月15日火曜日

FIFAワールドカップ 予選第1戦(vs カメルーン)

 第1戦の日本 vs カメルーンは、日本が前半、本田のゴールで1-0で折り返し、勝ちました。23時キックオフでしたが、観戦せずにその前に寝ました。今朝のニュースで、ゴールシーンしか見ていないので、試合の中身は知りませんが、カメルーンのチーム組織力不足で助かったのではないでしょうか。
 同じグループのオランダ vs デンマークは、後半そうそうにデンマークのオウンゴール(クリアボールが仲間の背中に当たって失点)と、終了前の追加点で2-0でオランダが勝ちました。
 デンマークも0-0の引き分けに持っていける力がある感じでしたが、やっぱりオランダのチーム力と、ボールさばき、キープ力、相手の裏にパスを通して決める攻撃力はさずがです。

2010年6月11日金曜日

FIFAワールドカップ2010南アフリカ大会“開幕”

 今日から、サッカー(フットボール)のワールドカップが始まります。日本(45位・岡田監督)の予選相手は・・・
第1戦は、14日(月) vs カメルーン(19位)
第2戦は、19日(土) vs オランダ(4位)
第3戦は、24日(木) vs デンマーク(36位)

 これまで以上に、日本全体が盛り上がっていません。
たぶんダメだろうな・・・とみんな思っているのでしょう。

 どの試合も、0-2か、1-3で惨敗するのかな。
 ピッチをただボールを追いかけて走り回っているだけではダメで、どうすれば点がとれて、ゴールを守れるのか、野球やカーリングのように、ゲームの戦略(かけひき)が大事だと思う。
 基本は、守り抜きながら、攻める時は、着実かつ効果にスピーディーに点をとる。そのチーム組織力と、ゲームを創る司令塔&ムードメーカーではないだろうか。

2010年6月10日木曜日

ルーツ を読んで 9

 「ルーツ」をちょうど読んでいるとき、NHKで「吉本隆明が語る 沈黙から芸術まで」(再放送)をみた。糸井重里氏のコーディネートで、吉本隆明氏(文芸評論家、思想家)の講演ドキュメンタリー番組だった。これをみて、これまで自分のなかで、もやもやしていたことがすっきりした。
 講演のなかでは、自身の人生を語るとともに、「言語にとって美とはなにか」について述べていた。言語には、「自己表出」と「指示表出」があり、結論としては、「言語の本当に幹と根にあるのは沈黙なんだと僕は考えた」ということである。
 「指示表出」は、伝達(コミュニケーション)することに対して、「自己表出」は、自分の意識や思考することであり、自己のなか、要するに“沈黙”のなかで表れ、構築されるものであり、さらに、“芸術”の価値はこの「自己表出」される部分にあるということである。
 確かに「そうだ!」と納得してしまった。芸術に限らず、何にしろ、思考の内容とプロセス「自己表出」が大事であり、「自己表出」の段階で試行錯誤して練り上げ、それによって出される言語や表現、イメージを他に伝えるプロセス「指示表出」、そして、自己と他がアプローチ・合意するプロセスがとても重要であると思う。

ルーツ を読んで 8

 言語学や脳物理学的にどうなのかは分からないが、身体にはOSの基があり、日本人の環境に生まれ育てば、OS言語は日本語になる。また、その人の思考、要 するに、頭のなかで想い、考えていることも日本語であると思う。
 思考が他の言語に入れ替わるとすると、基のOSを失ったことになり、それは、自 己を失ったことになると思う。では、バイリンガルの思考はどうなっているのだろうか。OSが複数同時に動いているか、切り替えているのだと思うが、基のOSがベースに機能しているのか、ごっちゃになっているのか・・・。
 思考(知識や経験をもとにあれこれ考えること)は、自分の意思と意識の自律(コントロール)とともに、コミュニケーションとしても大事である。
  クンカ・キンテがたどったであろう人生(ご先祖の話)とともに、マンディカ語で、川を「ボロンゴ」ということなど、親から子どもに、そして孫へと何代にも言い伝えられたことで、筆者アレックス・ヘン リーが自身の「ルーツ」を知ることができ、物語の最後では、実際にヘンリー氏がジュフレ村に行き、村人たちや語り部から、クンカ・キンテの祖父の代からの伝えを実感することになる。
 こうした数少ない情報から、自分の「ルーツ」を知ることができるのは、アメリカ黒人のなかでは少ないかと思う。

2010年6月9日水曜日

ルーツ を読んで 7

 クンカ・キンテも生きるために、白人を憎み、恨み、自己と葛藤しながらも、英語を知らざる、覚えざるを得なくなる。自分がどんな状況にあるのか、これからどうなるのか、世の中(農園の外)で何が起きているか、どうすれば逃げられるのか。
 物語のなかで、クンカ・キンテが、ふと我に返ると、母国語のマンディカ語を忘れていることに気づく。日々を生き抜くなかで、いつの間にか、言語や思考が英語になり、故郷の懐かしい記憶も薄れていく。自分が、ジュレフ村で過ごした生活文化や言葉などを忘れないように、また、自分がどこの誰であるかを伝えるために、子や孫に語っていく。