以前、NHKスペシャルで放映された(映像はまだ見ていないが)、「ヤノマミ」著:国分 拓 を読んだ。
「ヤノマミ」は、ブラジル・ベネズエラのジャングル奥深くに暮らす先住民族で、「ヤノマミ」自体が、人間を意味しているらしい。
著者は、ワトリキに住む集落というか、大ファミリーと150日間、生活をともにしながら取材をしたようである。
そこには、独特の文化・風習というよりも、かつての人間の暮らし、自然のなかで生きるための「摂理」と、「環」の世界観がある。アイヌやアボリジニ、アフリカ民族と同様に、精霊によって、天と地の万物がつながっている。
彼らは、「森で産まれ、森を食べ、森に食べられる」、ただそれだけの存在と考えている。生と死が当たり前に同居していて、それが連綿と繰り返されてきている。
出産するとき、妊婦は、家屋ではなく、森に分け入って出産する。
生まれてくるのは精霊であり、母親が抱き上げたときに「ヤノマミ」になる。精霊のまま返す場合は、白蟻に捧げられる。
これから先、森のなかで生きていけるのか、生計が保てるのか、いろいんな要素があるかと思われるが、その決断は女性が一人で行う。そして、男性はその決断に従う。
それが自然なのかもしれない。自分の足で立ち上がらなければ、食べ物が十分でなければ、死と直面することになる。
そのなかで、いかに生き、次代につなげるのか、動物も植物も知恵を使い、工夫、進化しながら、ただそれだけを追い求めている。
「ヤノマミ」は、西欧文明との接触(感染症や開発)によって激減し、現在は、国やNGOによって保護されている。また、「ヤノマミ」自身も、その文化・風習も変容しつつある。
何千年、何万年という地球の時間軸、自然の大きさからみれば、ちっぽけな存在である人間の傲慢と強欲によって、自ら自然を傾けている。