2011年5月15日日曜日

初めてのマスターズ出場


 今日、22年ぶりにトラックのスタートラインに立った。
 結果は、まさに惨敗。不完全燃焼。
 12秒台で走れると思っていたけど「13秒62」とは。
(オープン記録会:八王子・上柚木競技場)
 次回の7月の大会では、12秒台で走れるようにチャレンジ!
 2週間運動してなかった割に、アップの段階では、そこそこ身体が動いていた。
 でも、実際走ってみると、スタートダッシュから全くダメで、力強く踏み出せず、身体が浮いてしまった。あっという間に3m以上離されていた。
 中間でも力が入らない。スピードが上げられず(加速できず)にズルズルと後退。
 トップが12秒0だったから、ゴール前ではだいぶ離されてしまった。
 う~ん、悔しいけど、この程度だったかもしれない。
 スプリントの練習は、4月下旬に国立競技場で簡単に1回やっただけ。スタートからゴールまで走る練習。ダッシュなど瞬発力を上げるトレーニングが必要だな。
 スパイクも22年ぶりに履いた。その影響か、帰り道、土踏まずが痛くなっていた。
 でも、とりあえず出場することができて良かった。今回ダメだった分、まだまだタイムを縮められると思う。気持ちよく、全力で走れるようにしたいな。

2011年5月11日水曜日

ヨロン&エラブ 2


 今回は、はじめて沖永良部島に行ってみました。

2011年5月10日火曜日

ヨロン&エラブ 1


 今年は、珍しくGWに出かけました。
 行った先は、いつもの与論島(2泊)と、初めて隣の沖永良部島(2泊)。
 旅行金額を見てみると、5/4までは偉い高いけど、5/5になるとガクッと安くなるのを発見!でも、問題は学校。
 学校に有休はないけど、年に数日は休んでもいいのでは?と思う反面、やっぱりどうなのか悩んだ末、連休明けの金曜と月曜を休めば、5/5~5/9で4泊5日の旅行ができるのだからと決断。
 あ~やっぱり与論に帰ると、気持ちいいね。

2011年5月2日月曜日

生誕100年 岡本太郎展


 『生誕100年 岡本太郎展』を東京国立近代美術館に観に行った。
 岡本太郎の作品をこれだけ見たのは初めてだが、赤や青のビビットな色使いと、黒の迫力に圧倒される。
 展示も工夫されていて良かったと思う。会場の最後に、三角くじみたい(一人1枚をとる)のがあって、太郎の格言が一つ一つ書かれていた。
 1970年の大阪万博のシンボルとして創られた太陽の塔は、そのスケール感を実際に見てみたいものだが、万博のテーマである「人類の進歩と調和」について、「人間は何も進歩していない。ぶつかり合ってこそ、調和がある」というようなビデオ映像が流れていた。
 たしかにそうなのかもしれない。
 それぞれが影響しあっているからこそ、一体として成り立っているのが、調和がなのだろう。どこかが出っ張って、または引っ込んでいる、あるいは何もしていないということではない。

2011年4月6日水曜日

入学式

 娘が小学校に入学しました。
 ちょうど桜も見ごろで、穏やかな天気の良い日のなかで式ができました。
 大震災の後だったので、体育館へは保護者は土足で、1年生は6年生に防災頭巾を持ってもらいながらの入場。
 みんな緊張した面もちで、校長先生やPTA会長のあいさつ、2年生からの歓迎の劇(大きなかぶ)、校歌斉唱と、式はさらっと終わりました。
 そのあと教室へ。机の上には、教科書やら教材、いろんなプリント類がたくさん。名前書きが大変だ。
 昨年の学校説明会の時は、もしかしたらクラスが2つ出来るかと思っていましたが、結局は35人の1クラスでした。6年間ずっと同じですな。
 明日から、学校生活だ。慣れるまでバタバタしそう。でも、まずは入学できて良かったね。

2011年3月25日金曜日

東北関東大震災から2週間

 3月11日(金曜)に起きた東北地方太平洋沖地震「東北関東大震災」。
 国内観測最大のマグニチュード9.0、宮城県で震度7、東京でも震度5強。
 震源域は三陸沖の南北500kmもの広範囲に及び、10mをゆうに超える大津波が東北沿岸部を飲み込んでしまった。
 大地震というよりは、地殻変動で、今まで陸だったところが海になってしまった。
 自然の力は創造を越えている。これは仕方がないことかもしれない。10年、100年のスパンではなく、何千年、何万年、何億年という時のなかで地球は絶え間なく動いていて、その表面の薄皮の上に生物が生きているのだから。
 しかし、今回は、大地震の上に、想定をはるかに越えた大津波。
 そして、福島第一原子力発電所の破損による放射能漏れと、東北関東の広範囲に甚大な被害をもたらせた。
 地震だけなら被害もこれほどまでにはならなかっただろうが、大津波によって多くの市街地、漁村が壊滅的な被害を受け、多くの被災者(死者・行方不明者)、避難生活を強いられている方々がたくさんいる。
 原子力発電所も地震直後に運転が止められたが、大津波によって冷却装置のバックアップ機能が破壊され、放射能の影響下、今も必死の体制で復旧作業が続けられている。
 被災地では、仮設住宅など復興に向けて動き出しているが、電気・水道・ガス・通信・交通のインフラ復旧には時間がかかる上、食料や日用品・医薬品・燃料(物流)の不足、放射能汚染や風評被害、長引く余震など、なかなか先が見えてこない状況かと思う。
 関東エリアでは、東京電力の電力供給量不足により、計画停電(輪番停電)が行われているが、燃料不足とあわせて交通や物流、産業・生活に大きな影響が出ていて、巷では買い占め行動など、ちょっとしたパニックも起きている。
 省エネ技術大国の日本ではあるが、電力需要が増えすぎて、節電そのものは出来ていなかったということだろう。駅やまちは節電で以前より暗くなったが、外国に行けばこれが普通くらいで、いかに日本が無駄に明るすぎたか。
 少子高齢化と人口減少が進むなか、インフラや公共サービスの効率化を考えれば、拡散したまちを集約するコンパクトシティ論が大きくなるのか。集団移住、廃村も必要になるかもしれない。
 国会のゴタゴタや中東・北アフリカ民主化蜂起などの問題がこの2週間ぶっ飛んでしまったが、この東北関東大震災を機に「日本」は変われるのかどうか。

2011年3月19日土曜日